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kpinkcat(モモネコ)

Author: kpinkcat(モモネコ)

2009年1月からジョギングを開始するも、
数か月すると走らなくなる。
3年ごとにブームが訪れ、今回3度目。
2015年に過去最大重量を記録した
のをきっかけに再び走り始める。
今度こそ、過去最速を目指したい。
自分を取り戻す旅。。。

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奥三河の出場を決めたのが、比較的遅かったので、
宿は豊橋にとる他なかった。
湯谷周辺の温泉宿はきっとエントリー後すぐに埋まってしまうのだろう。
私が宿の手配をしたときには、長篠の辺りも既に満室だったので、
茶臼山までのバスが出る豊橋に宿を取るのが自然な流れとなった。

鹿児島から中部へ飛行機で行くとなると、
一番早い飛行機に乗っても、選手説明会に間に合うには
かなりタイトな移動スケジュールとなった。

いつもは持って行かないプロテインが旅行バッグの中で
散乱していたり、
(洗濯大変だったよ、バニラ味でまだよかったw)
旅行バッグを受付まで持っていくのは面倒だから、
と豊橋駅のコインロッカーに預け、
必携装備品も持たずに受付しようとしたのは私ですw
おかげで、現地調達する羽目になり、
レインやヘッドライトや熊鈴などを買ったりして、
27000円くらいの余計な出費をしたりした。
パタゴニアの18000円のレインジャケットは
息子が使うのだと。。。
(贅沢だよねw)

ハセツネ出たときには、やたら小石が靴の中にはいったので、
トレランにはゲイター必須だな、と思って、
折角、S-LABのゲイターをアメリカからアマゾンで取り寄せたのに、
持ってくるのを忘れてる、という、
なんだかなぁ、という感じで前日からかなり雲行きは怪しかった。



当日は午前2時45分集合の豊橋からのバスに揺られて、
茶臼山まで2時間半。
到着すると、結構寒くて、すぐさまストームクルーザーを
上下とも着こんだ。気温は5℃くらいだったのかな。

会場到着後すぐに、男子更衣室の建物の中に入ると、
トイレ待ちのネコさんをすぐに見つけて、ご挨拶。
ネコさんはなんだか気合が入っている様子だった。

程なく、R2さんの姿を発見し、アレキさんともお会いできた。
初対面ののべさんを紹介して頂いて、みんなに鹿児島のお土産を配った。
鹿児島には薩摩蒸気屋という和菓子のお店があって、
そこの銅鑼殿(どらどん)と かすたどんというお菓子が私は好きなので、
アレえもんさんにも是非、銅鑼殿を食べて欲しくてね。

銅鑼殿
(いわゆる、ドラ焼きね。真ん中に島津の家紋が入ってます)

それと今回の最大の目的の たーはるさんに会う、
という目的が達成できたのはよかったな。

スタート地点に並んでいるときに、ふと後方に目をやると、
たーはるパパさんがいてね。
前日の開会式の時にも、壇上のパパさんをお見掛けしたのだが、
その頃、必携装備品をそろえるのに夢中になっていて、
受け付け終わった時には、パパさんの姿が見えなくなっていたので、
ありゃ~失敗したわ~、と悔やんでいた。

幸運にもお声をかけさせてもらえて、少々会話を。
「今日の目標は?」と訊かれて、
「完走したいです」って答えたけど、全然ダメだったなぁ。
パパさんからは、「体力温存しようと思ってたら、関門間に合わないので、
頑張って攻めたほうが、いいですよ。」とのアドバイスを貰った。


スタート前はそんな感じで、気持ち的にはゆったり。
でも、最終予備関門は超えたいと本気で思っていたよ。

中団くらいからスタートしたけど、始終押さえろ、押さえろ、と
はやる気持ちを押し殺しながら走っていた。
それでも心拍は155~165bpmくらいで、ちょっと高いな、と思っていた。
ろくすっぽ、練習出来ていなかったのだから、まあ、こんなもんでしょ、
と思いながらも、先行するR2さんの後ろ姿や、唯一仮装のクマのプーさん
見ながら、仮装が禁止でないのは、当たり前すぎて書いてない、という
名台詞を思い出しながらニヤニヤしなかがら進んでいた。

途中、急登を登っている際に、
「いやぁ、前回出場したときは、制限時間の4分後にゴールして、
完走扱いにならなかったんですよ。」
というどこかで聞いたような話をする人がいたので、
振り返ってみるとそこには てび さんがいた。
おお、思っていたよりも結構小柄な方なんだ、と思いながら思わず、
「ブログ見てますよ~、UTMB頑張ってくださいね」
と一言声をかけさせてもらった。なんか、ラッキーだなぁ、と思った。

気持ち的には抑え気味で走っているつもりでも、
心拍的にはやや高い。
でも、全体的には始終じわじわ抜かれる展開で、
やはりみんなレベルが高くて、このペースでも余裕なんだろうなぁ、
というのを肌で感じた。

1Aに到着が予定通りの1時間32分だったので、抑え気味のこのペースが
最低ペースくらいになるんだな、と確認できた。
トイレに並んだので 1A OUTが1時間40分くらいで、こういった時間で
やはり削られるなぁ、と思った。

決してキツイペースで進んでいたわけじゃなかったけど、
次第に抜かれる早さが増してきて、少しあせりが出てきた。
途中、R2さんが登りで歩いているときに声をかけたけど、
最初から足が痙攣して・・・、と仰られて結構辛そうだった。
自分は抑え気味だったので、まだまだ余裕があるつもりだったけど、
下りのロードに入ってから、足の痙攣が始まり、
下りでもキロ7分で下れなくなってきたので、一気に気分が冷めたのが分かった。

この1か月膝痛に悩まされ続け、ここで無理したらまた1か月くらい
足がダメになるのではないか、という事が脳裏をよぎった。
すると、すぐにリタイアしよう、という気持ちになり
2Aに着いてリタイアを係員に告げた。
ほとんど決断に躊躇はなく、自分でも悔しさみたいなものが無いのを
不思議に感じたが、気持ちのどこかにきっとこういう事もあるかな、というのが
あったのかもしれない。
2Aには4時間ちょっと要していたし、3Aに5時間で到着するのはほぼ不可能だった。
自分の中で、完走できないのなら試走はこの辺にして、
後の楽しみは次までとっておくことにしよう、という事で納得していた。

リタイアを宣言してから、収容車が出るまでしばらく時間がかかる、と言われた。
この間に、誰か来ないかな、と通過する選手を見ていると、
たーはるさんがやってきた。

体調が思わしくないので、リタイアします、というと、
そうですね、無理しない方がいいかのですね、とたーはるさんは言ってくれた。
再び元気に走っていくたーはるさんを見送ると、
スタッフの方が、湯谷行きの収容バスまで送ります、とのことで移動を始めた。

2Aでのリタイアは私の他に2名おり、一人は女性だった。
去年は完走したけれど、3Aからのキツさを知っているだけに、
状態が悪い今は無理して先に進むのはできないな、と思った、と言っていた。

スタッフの運転手の方は、小松エイドに近づくと、
「この辺は実はダムが建設されることが決まっていて、
この辺りは水没することになるのですよ」
と話していた。詳細はよく分からないが、一時はダム建設は白紙に戻ったが、
その話が再び持ち上がり、小松付近にダムが建設されるのは
確定事項のことだ、という話だった。
ダムの建設が終了するのは数年先の様だったが、
それを聞きながら私は、ダムの為にOPTのコース変更が余儀なくされるかは
定かでないが、近いうちにここを完走しておかねばならないな、と思った。

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鹿児島マラソンでの激沈中に左膝痛が出現して、、
マラソンをきちんと完走するだけの足が
全然できていなかったんだな、と思った。

マラソン後のダメージも結構あり、3日間は歩くのにも
やや支障があったくらいだ。
大丈夫かな、とやや心配になりながらジョグを始めたのが、
鹿児島マラソン後、1週間後の 3/11の事だった。

奥三河に向けて、とにかく持久力が足りていない、と思い、
長い距離を走りつつ、スピードの維持を心がけようと思っていた。
しかし、10kmを超えて走ると、左膝外側に痛みを感じていた。
3/15 にはTペースを決行し、Tペース中は何の違和感も感じなかったが、
家に帰る途中のジョグで、酷い左膝痛を感じた。
「ちょっとヤバイやつかもしれないな」、と思った。

その後も持久力養成の為に、Eペースで20kmを走ろうと、
何度も挑戦してみたが、その度に膝痛が襲ってきた。
最初はなんともないのに、10km超えると突如痛みが湧いてくるのだ。

これは、2009年の走り出しの最初の頃に起こした、膝痛の症状とほぼ同じだった。
最初は痛くないのに、途中から痛み出す。
あのときはハーフマラソン後しばらくしてから症状が出現し、
今度は鹿児島マラソン後に同様の症状が起こったわけだ。
違うのは、今回は脛腸靭帯炎ではなさそうだ、という事だった。
痛む場所はほとんど同じだったが、脛腸靭帯には全く張りは無かったのだ。

今年の1月頃にも膝周囲に違和感があり、だましだまし走っていた。
今回の膝痛もその延長上にあると考え、前脛骨筋や長腓骨筋辺りを念入りに
マッサージをしたが、症状が軽減する気配は見せなかった。

長い距離は膝痛の症状が出たが、比較的短い距離だと症状は全く感じなかった。
3/22 には5kTTで自己ベストの 21'19" が出て、目標だったVDOT46に達した。
これで、奥三河はきっと戦えるはずだ、とその時は思っていた。

3/25 に 11kmのMペース走を含む20kmを走ったが、
だましだまし走れたのはそこまで。それ以降はさんざんだった。

4/1には7.7kmで痛みでストップ。
4/2には4kで痛みが発生し、その後走ったり歩いたりで12km移動した。
12kmに達する途中で左ハムをストレッチすると、急激に痛みが減弱して、
また2kmくらい走れたが、その後再び痛みが出る症状が出現した。
「ああ、ここか。今まで痛みがどこからやって来るか分からなかったが、
膝裏が張ってるから痛みが、左膝外側辺りに波及してくるのか。」
とようやく、痛みの部位が特定された。

それからというもの、しきりに左ハムのストレッチを敢行した。
余りにもグイグイとやるものだから、それから3日間は左ハムの炎症で
走れなくなったが、それくらい病的に張りが強かったのだ。
多少は休まないと、良くならないだろうけど、休んだからと言って、
この手の痛みはすぐに良くなるものでもない、ということは知っていた。
試しに4/3 から 4/7までランオフするも、4/8 4/9 はEペースなのに、
それぞれ13km、8kmで膝痛ストップを余儀なくされた。
4/15 にはEペースで9km走ったが、やはりダメだった。
それまでもストレッチを意識していたが、左膝裏、左ハムストリングの張りは
ずっと続いていた。

奥三河のレースも近づき、気分的にどうしようもなくなっていた。
4/8辺りでは、今回の完走はきっと難しいだろうな、ということを感じていた。
4/16からはそれこそ1時間おきくらいにストレッチをこれでもか、
という程やってみた。たった1時間の間にも左ハムはその度に張っていた。
ようやく再び痛みなく走れるようになったのが、4/19で
それからEペースで、10、8、23、17kmと距離を伸ばしても
左膝痛は発生しなくなった。
原因は間違いなく左ハムストリングの張りだった。

こんなわけで、奥三河の完走はほぼ無理かな、という気持ちでいた。
エントリーフィーも宿の予約も飛行機のチケットも当然支払い済みだったので、
まあ、出場しないという選択肢はほとんどなかった。
完走はできないだろうけど、あわよくば、最終予備関門を抜けて、
ゴールまで走り切れたら幸せだな、と思いながらレース前日に鹿児島を発ったのだ。
そう、今回は贅沢な試走をすればいいのだ、という気持ちでいたのだ。

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第三回 奥三河パワートレイル 出場してきました。

結果は 2A リタイア でした。

この1か月膝痛の為、ロクな練習ができなかったので、
当然の結果として受け止めています。

一時は出場すらできないのではないか、と思っていましたが、
たーはるさんとお話しするという目的だけは達成できたかな。

何を言っても言い訳になりますが、このような結果になった経緯は
後日簡単に振り返っておきます。
 先週の土曜日に20kを走り、翌日の日曜日に
どうしようもない疲労感から走るのを中止しました。
それまでに9日間で115km。休み3日。
膝痛を抱えてのトレーニングは意外にも体に負担があったようです。

それからというもの、雨やら都合やらで結局7日間のランオフ。
水曜日には雨の中走ろうと思って、折角着替えたけど、
雨足が強くて断念しました。

今日、1週間ぶりに走るので、それなら60kのロング走でも、
と思いながら、途中の補給のパンやら飲み物を用意して
走り出したのですが、まさかのたった7.5kmで膝痛。

先週の土曜日には20k走っても膝痛が出なかったので、
一先ず安心、と思っていたのに、創傷治癒過程での筋緊張は
残っていたようです。ランオフの日々でも油断せず、
念入りにマッサージすべきでした。ああ、アホやなぁ。

こんな調子で、果たして奥三河は走れるのだろうか。
まあでも、やれるだけのことをやるまで。。。
足を作る作業を念入りに、マッサージもね。
地道な作業なのさ・・明日も、足が耐えられるとこまで限界いきます。

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25kmの計測地点を過ぎて数百メートルすると、
折り返し地点となった。
沿道には割れんばかりの声援が送られていた。

折り返すと再び高架橋への緩やかな登りとなった。
このわずかな登りの最中にペースの維持が
だんだん難しくなっていることに気が付いた。

「あら、きっちり踏み込まないとペース維持できなく
なってきてるじゃん。登りとはいえね。
ペース落とすのか?」

今まではそれほど意識をしなくとも、予定ペースは
維持できていた。全く頑張っている感じなどなかった。
ところが、折り返しを過ぎてからというもの、
少し意識しないと目標ペースからこぼれそうになってきた。

再び高架橋を登り切り、下りで落ちたペースをとりもどそうと
ピッチを速くした。そして、また緩やかな登りとなり、
少しずつ足が削られるのを感じた。

「ちょっとキツくなってきたかな。
この感じじゃ30k以降はかなり厳しい勝負になりそうだなぁ。
後半上げれないかもしれないけど、
そのときは5分13秒を守るかたちでもいいや。
粘れ、粘れ!」

キツさを感じるのも無理はなかった。
21km地点を過ぎてからというもの、平均心拍は
167bpmを超えていたのである。そう、私は既に
Tペースの強度で走っていたのだ。

「なんか、心拍数高いや。体調悪い?
いやいや、そんなことないつもりだけどなぁ。
やっぱ、あれでしょ。このアップダウン。
鹿児島マラソンがこんなにもアップダウンが酷いだなんて
地元の私ですらきづかなかったよ。」

桜島を望む海岸沿いの国道10号線は思った以上に登り下りが激しかった。
勾配がそれほどでもないので気づきにくいが、
常に登るか下るかで平坦が少ないのだ。

「これからの方がもっとアップダウンが強くなるのに。。。
まあ、とにかくこれ以上強くはいけないから、
何とかこのペースを維持しなきゃ。」

そしてその時は突然やってきた。

「うはぁ、やべぇ、左ふくらはぎ攣りそう・・」

咄嗟にペースを落とした。こういう時は、
ペースが速すぎて酸素が足りないか、シャリ切れなのだ。

「ふぅ、なんとか攣らなかった。セーフ、セーフ。
でも、もうエネルギー枯渇なの?空っぽなの?」

不安になりながら、少し落としたペースをそのままに
1.2km程度走ると今度は本物がやってきた。

「やっぱ来たよ~。ガチなやつ~」

こうなったらやれることは一つしかない。
ペースをグッと抑えて、攣らないギリギリのスピードで
ただひたすら耐えるだけだ。

「さっき、補給したばかりなのに、やっぱムリだよね。
そりゃそうだわぁ。」

300kcal/hrというのが、消化管で糖質を吸収できる限界だそうだ。
つまり、空っぽになってからMペースを維持することなど不可能で、
せいぜいEペースを守れたら御の字なのだ。
知っていた。もちろん知っていた。
攣ったら最後で、そこでマラソンが終わるのだ。

だからこそ、オーバーペースを避け、
前半はゆっくり入り、エネルギーを温存し、
後半エネルギーが持ちそうならペースをアップを図る
ネガティブスプリットが良いとされるのだ。

以前このブログに、
レース本番で32kまでを160bpm程度の心拍数で走れたら、
多分勝ちが見える、と書いたことがあった。
心拍がそれ以上に上昇していることをずっと無視し続け、
それを受け入れなかった結果がこれである。
中盤から完全に負けパターンに入っていたのだ。

「でもね、今まで練習ではこれより早いペースで走っていたのに、
一回も攣った事なんてなかったのになぁ。
まあ、でも仕方ない。あとは耐えるのみだよね。」

25km-30km
5'09"-5'20"-5'14"-5'18"-5'30"(26'33" 公式 27'00")


「せめて30秒落ちのEペースを保てたらなんとか50分は切れるのでは、
粘れ、粘れ、なんとかしろ!」

そう思いながら走り続けるが、無情にも足の辛さは増すばかりで、
力を込めようとすると攣る直前の状態になるのだった。
もう、スピードを緩めるしか手立てがなかった。

そんな感じで撃沈していると後ろから張りのある声が聞こえてきた。
「激沈上等。○○○○!。」
後半は何をおっしゃったのかよく覚えていないが、
声の主がTHさんである事はすぐに分かった。

「いやぁ、本当に激沈しちゃいましたよぉ。」

そう伝えるとTHさんは颯爽と私を抜き去った。
THさんの腰にはビニールのようなモノが挟まっており、
ゼッケンが良く見えなかったが、
きっとブログでお礼が言えるだろう、と見送った。
少しばかりついて行こうとはしてみたものの、
3秒と持たずにそれも諦めた。

スタートから降り続く雨はこのとき最も激しくなってきた。

「最近のレースは雨ばかりだなぁ。
信越は土砂降り。ハセツネは朝の雨が酷かったけど、
レース中は余り降らずに助かったなぁ。
でんしろうも最後の1時間はずっと雨だったし。
本当に降られっぱなしだぁ。
晴れの日はいつくるのかな。今度はきっと晴れるよね?」

30km-35km
5'54"-5'51"-5'44"-5'43"-5'54"(29'09" 公式 29'37")


だんだんペースが落ちてきたが登り勾配もあり、
とうとうキロ6分も維持できなくなってきた。
それでも何とか走り続けたい、と思ったが、
どうにも足が攣りそうになって止まった。

道路脇に寄り、何度か足を屈伸したり、
アキレスを伸ばしたりしてみたが、
かえって攣りそうな気配がして、また走り出した。
JRとの立体交差の橋の所で、たまらなくなって
とうとう自らの意志で歩いた。

「くそぅ、そうじゃないだろ!」
歩いて3歩目にはまた走り出した。
踏み込む左膝には痛みが出だした。

「なんだ、オーバーペースだけじゃなくて、
足もしっかり出来ていなかったのかぁ。
こりゃあ、また1から足を作り直しだな。」

12月から痛めていた左膝が同じような感じで痛み出した。
それでもまだ走れていられるだけ随分マシだな、と思った。
左膝の痛みは強くなるばかりだったが、それでも走っていたかった。

仙巌園の前のエイドには沢山の声援が飛び交っていた。
ここまで給水を1か所取っただけで、
補給は全て自前のジェルとスポドリで賄っていたが、
最後のこの大エイドに寄ろうかと思ったがやはり素通りした。

大きなポーチの中には食べかけのジェルと
ピットインがまだ残っていたが、
もう何をやっても無駄なような気がしてそのまま口にせず走り続けた。
30km地点まではほとんど手つかずだったスポドリだけは、
何度も口に含み最後まで飲み干した。

鳥越トンネルを抜け、再び市街地近くになって
やっと40km地点を通り過ぎた。

35km-40km
6'14"-6'12"-6'32"-5'52"-6'33"(31'24" 公式 31'23")


40kmを過ぎた辺りで3時間37分だった。

「そうか、残り全部歩いたとしてもサブ4にはなるのか。」

一瞬残りは全部歩いてやろうか、とも思ったが、
不本意でもなんでも自己ベストなんだから、
たった1秒でも削り出せ、とどこからともなく激を飛ばされた気がした。

最後の陸橋を登り切り左折と右折を1回ずつしたところで
やっとゴールが見えてきた。
ゴールが見えると少し元気が湧いてきて少しだけスピードも上がった。。
最後は少し走れる感じでゴールした。
ゴール後にコースに1礼して会場を後にした。

決していいレースじゃなかったけれど、なぜか笑みがこぼれてきた。
苦笑いを含んだ、そんな笑みだった。

左膝は思った以上に痛んでいた。
普通に歩くのもままならない感じだった。
そのとき思った。
「激沈してたけど、そうか、俺頑張ってたのか・・・」
こういうの含めてマラソンなんだな、と感じた。

40km-ゴール
5'58"-6'01"-2'46" 42.50km(SF-850) (14'45" 公式 12'57")

Gross 3゚53'30" (net 3゚52'02")


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ごめんね文字だけで。写真は実際撮ったのもほぼゼロでした

じゃ、ガーミンの一部記録だけ

(スタートライン90m手前からの記録)

2017 鹿児島マラソン Garmin

なんだ?!累積上昇347m ってw

山岳レースとは気づかなかったわw

ワロタw


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