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kpinkcat(モモネコ)

Author: kpinkcat(モモネコ)

2009年1月からジョギングを開始するも、
数か月すると走らなくなる。
3年ごとにブームが訪れ、今回3度目。
2015年に過去最大重量を記録した
のをきっかけに再び走り始める。
今度こそ、過去最速を目指したい。
自分を取り戻す旅。。。

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2回の30km ペース走のチャレンジが失敗に終わり、
気分的に落ち着かなかった。
「このままでは、25km以降で足が止まるのは必至ではないのか」、
という疑念は一向に晴れなかった。
間隔的には短かったが、レースまでもう猶予がなかったので、
大会11日前に、これが最後のロング調整、という気持ちで
20kmをキロ6で走ってみた。

幸い最後の20kは思い通りのペースで刻めた。
もちろん、不安は残ったままだったが、
意図する距離を意図するペースで走れたのはこれが最初だったので、
少し気分を良くした。前2回のチャレンジでも20kmはキロ6ペースで
通過できていたので、状況が改善したわけではなかったが、
とにかく気分的には少し落ち着いた。
その後、4.5kmのMペース走を一度、ラングレスを2度行って、
大会を迎えた。大会前日は、受付を済ませた後、
熊本市内のポータルを巡り、メダルミッションも完成したが、
すべて歩きだった。

熊本城マラソン当日は快晴だった。
6時半に起床し、朝食を食べ、7時半にタクシーで会場に向かった。
コンビニでおにぎり2つを買い、出走30分前に食べた。
ランニングポーチにはジェルを3つ詰め、10km毎に補給する算段でいた。

私は普段から、食後1~2時間くらいでジョギングすることが多かった。
胃に何か入った状態で走るのに慣れていたし、
そんなに早いスピードで走る訳でもないので、
特にわき腹が痛くなるようなことはない、と知っていた。
おにぎりを食べたのは最初の10kmの糖質補充の為と考えてのことだった。
できるだけ、体内のグリコーゲン枯渇を防ぐためだった。
そんなにすぐに吸収されたかは定かではないが、
遅くともゴールまでには消化するだろうから、
糖質の足しになればいい、と適当に考えていた。

この大会まではGPSウォッチはARESを使用していたが、
エプソンから大会直前に新型脈拍計付きGPSウォッチが
発売されたことを知った。
ARESでも胸バンドを装着すれば心拍を計測できていたが、
特段心拍情報以外に目立った解析もなかったので、
2~3回使用して、あとは放置だった。
細かい解析があれば、もっと使用したかもしれないが、
閾値走やインターバルを禁止としていたので、
心拍情報をそれ程必要としなかったのも、使用しない一つの理由だった。
脈拍センサーは途切れることも多々あるとのことで、
迷ったが、今後の為にSF-850を購入した。
Garmin 635/235が既に発売されていたので、
非常に迷ったが、今回はエプソンを選んだ。
もし、235Jが出ていたら、購入していたかも知れなかった。

大会当日は左腕にEPSON、右腕にARESを装着した。
SF-850はGPS記録が1秒毎だが、ARESは5秒ごとなので、
どれ程の違いがあるかも非常に興味があった。
ARESの心拍計も装着し、脈拍センサーとの相関も検証したかった。

そんな感じでスタート地点に向かい、あとは出走するだけとなった。

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目標が決まればやることは決まっていた。
前回のフルでレース3週前と5週前に30km走を行い、
その他は週1回20kmくらい走りこめば
フルマラソンを止まらずに完走できることを学んでいたからだ。

重要なのは、レース前半は力を極力温存し、
余裕があるときだけ30km以降に気合を入れるということだった。
この戦略はグリコーゲンの温存という意味では理に適っている。
グリコーゲンが枯渇すれば、どんな優れたランナーでも痙攣で走れなくなる。
それを来さないために、前半は極力脂肪をエネルギーとして走る、
つまり完全な有酸素運動で走るしかないのだ。

たとえ、同じスピードで走ったとしても、
グリコーゲンが枯渇してエネルギー源の依存度が脂肪に傾けば、
呼吸商は低下し、酸素需要は高まる。
結果、酸素需要の為心拍数は漸増し、エネルギー枯渇と酸素不足で筋痙攣が必至となる。
もちろん、スピードを弱めれば走れるが、
糖質がない状態で走ると悲惨な状態になることは周知の事実だ。

VDOT41の E pace は 6'14"/km だ。サブ4.5なら 6'20"/km で十分なので、
その目標はいわば必達事項と言ってもよかった。
出来れば4時間15分を目指そうと思った。
そうなると、6'02"/km が必要だ。これだと、達成できるかどうかギリギリの線
という感じがした。ただ、サブ4はちょっとムリだろうなぁ、という感覚はあった。
5'41"/kmのペースは頑張っても25kmくらいしか続かないだろうという気がした。
もし、私が前半温存が正しい道だと知らなかったら、
「サブ4目指して前半突っ込みます!」と威勢よく飛び出したに違いない。
それも一興ではあるが、自分の実力を把握し、考え得る最大限のパフォーマンスを
探るのもまた一興ではある、と思っていた。
なにせ、私にとってこれが今年唯一のレースなのだから。

それで、レース5週前に30km走をすることに決めた。
余裕があれば35kmだって走るつもりでいた。
設定ペースは 6'00"/kmにした。
それまでには週に20km以上を1回以上と考えたが、
実際には19km と 15kmを1回ずつしか走れなかった。
レース5週前、1月22日、キロ6ペースで順調に刻んだが、24km付近から急に失速し、
26kmで足が止まった。そのあと、無理やり4km歩いた。
レース3週前、22日の失敗を克服すべく、再び30km キロ6に挑むが、やはり25kmで足が止まった。
このままでは、いけないと、レース15日前に25kmをサブ4ペースで走るチャレンジをした。
そして、再び19kmで足は止まった。
「やれやれ、今の実力ではサブ4なんて完全に夢のまた夢だ。キロ6ペースで走り切れれば、
御の字だし、6'10"/kmで走れたら、満足すべき実力みたいだな。」
となんとか自分の現状を把握するに至った。
こうして、レース当日は前半は 6分5秒-10秒/km 程度を目標に、
あわよくば後半キロ6を切るペースで走ろう、というプランが決まった。
ただ、1度として30kmを設定ペースで走り切ることはできず、不安の残る展開となった。

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年も変わり熊本城マラソンまであとわずかとなった。
今年のマラソンは1レースしか出場しない予定だった。
まだ体が出来ていないのがその理由だったが、
休みが少ないので、そうそう自分ためのだけに
余暇を使うのがやや気が引ける、という理由もあった。

レースまで2か月を切り、そろそろレースペースを
設定する必要があった。実際、自分の走力がどれほどなのか
あまりはっきりわからなかったのだ。

2013年には4時間44分でフルマラソンを完走した。
その時の目標がサブ5だったので、自分では納得のレースだった。
今回はどこに目標を持っていったらいいのか、皆目見当つかなかった。
なにせ、3年ぶりのレースだし、今シーズンは真面目にランだけ
続けて来た訳ではなく、ラングレスというstop & go の
繰り返しでしか走ってなかったので、本当の実力を測りかねていた。

そこで試しに5k タイムトライアル(TT)を実行してみることにした。
それまでの持ちタイムは確か、2012年5月の5km 24分17秒だった。
VDOT 40に満たないタイムということだ。
中学3年の時が 17分30秒だったから、随分遅くなったものである。
あの頃とは若さも体型も全く異なる。同じ体重になったら、
どれだけタイムが縮むのか少し興味はあった。
おそらく、中学生の時はBMIで19.5くらいだったと記憶している。

1月8日に 5k TT 23分37秒だった。左足のケガがほぼ癒えていて、
残りわずか 8 mm × 8 mm 程度の上皮形成を残すのみだった。
この記録はにわかには信じ難かった。出来すぎだと思った。
でも、GPSウォッチはARESの同モデルだし、
距離が短くてもせいぜい50mくらいだろうから、以前より速くなったのは
間違いないのだろうと思った。一回に走る距離が長くなっていたので、
やや持久力が向上していたのだろうと思った。
1km 4'50"で入り、その後もじわじわとペースを上げ、
ラスト1kmは 4'35”くらいで上がった。
それまで、一度もそんなペースで走る事はしなかったので、
最後まで持つか分からなかったが、ギリギリなんとかなった格好だ。
その時出来る最高のスピードで走り切った。

5km TT ではVDOT 41という事になった。
フルマラソンで3゚45'09"に値するとランニングフォーミュラには書いてあった。
全く、なんの冗談か分らないほどのタイムだ。
もちろん、持久力をかなり鍛え上げれば、VDOT41でも可能なタイム
ということであろうが、今の自分の実力からかけ離れていることは明らかだった。
3年前はVDOT 38強だったが、フルマラソンの結果はVDOT 30強相当だった。
それならば、今回もトレーニング期間が前回とあまり変わらないので、
VDOT 33相当、つまりフルマラソン 4゚28'22" くらいで走れれば、
かなりいい線という考えに至った。そして目標はサブ4.5と決めた。

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11月は結局ラン11.2 km バイク 159kmだった。
バイクを1/3換算してもランで64km換算にしかならなかった。

相変わらず傷口の方はまだ開いていたので、
12月前半はバイクの比重が高かった。
しかし、2月には熊本城マラソンの参加が決まっていたので、
そろそろ本格的に足を作らねば到底間に合わない、
と心持ち焦っていた。

予定ではレース3, 5週間前に30km走をし、そこまでの間に
毎週20km程度の走り込みは数回したかった。
ただ、9月からwalk&runを始めてから、ランだけで10kmとか
走ることをしなかったので、走るための足づくりはこれからだった。
今まではとにかく体重を落とすのが主で、走るのは二の次だった。
焦って走り出しても、膝を壊すだけだし、なにより70kg台では
速く走るなんてできやしなかった。

9月と10月はしっかり走れたので、順調に体重は落ち、
75kg→69kgへと減っていた。
週末は野菜ジュース1本とサラダ、夜に普通食といった感じで
ダイエットも行った。すると、週末にストンと体重が減ることを
実感していた。間食はほぼしなかった。

仕事のある平日は厳しいダイエットはしなかった。
心にゆとりのある週末だけ、カロリー制限した恰好だ。
ケガをした11月は過剰なカロリー摂取には気を付けていたが、
下手なダイエット対策はなしだった。
それでもバイクのおかげで1kg減っていた。
12月にはとりあえず、イングレスをしながら、
15km以上を走る事を心がけた。
まだまだ膝が出来てないので、それ以上は危険だったし、
あまり無理をすれば、傷口がまたむくむ心配もあった。
まとまった距離を走ったあとは、しばし休息を必要とした。
たった15kmといえども、ラン復帰3か月では
そこそこダメージが残ったからだ。
とにかく、故障せず、傷を癒すことに専念した。

そんな感じで12月は15km程度走ったのが3回。
バイクでも90km走った日もあり、
結局ラン96km、バイク236kmとなり、ラン換算で170kmくらいにはなった。
体重も67kgくらいで安定してきた。
この辺りから、大好きなアイスは日に1個だけ解禁とした。


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「結婚記念日だというのにパパはね、
自転車で足をケガしたんだよ。
あれほど自転車では気をつけなさい、と言ったのにね。
ホント、思い出深い結婚記念日になったわぁ。」
、といたずらな笑みを浮かべながら妻は息子に話しかけた。

足の痛みはうずき、一週間程度は引きずるように歩いた。
医者からは抗生剤を処方されきちんと飲んでいたが、
痛み止めは2、3回飲んであとは存在すらも忘れていた。

縫合処置をしてくれた医者は、あとは近くの病院で
消毒と包帯交換をするように、と紹介状を書いてくれた。
紹介先では3日毎に消毒処置を受けたが、
抜糸までに2週間ほどかかった。
抜糸が遅かったのは浮腫の引きが悪かったせいだった。
見た目よりも随分、挫滅していたのだろうと想像した。

通院先の病院には患者がうなるように押し寄せていた。
いつ行っても2時間くらい待った。
消毒して包帯交換するだけなのに2時間も毎回待たされたのである。

それにうんざりしていた私は、抜糸後は湿潤療法で治そう、と考えた。
始めに言っておくが、湿潤療法を個人の判断で行うなら自己責任だ。
もし、感染の徴候がわからないなら大人しく医者にかかった方がいい。
また、糖尿病を患っているなら、決して自己判断で湿潤療法は
行うべきではない。十分医師と相談した方がいい、と言っておく。

手元に7日分の抗生剤があったが、それもやめた。
瑞光から販売されているプラスモイストとニチバンのカテリープを
購入し、創部を覆った。カテリープはプラスモイストの
上下を止めるだけで、中央部分は通気性を保った。

抜糸後の創部はすぐに離開した。一部、壊死組織が黒くそこに
残ったままだった。通院していた病院は消毒した後に
ガーゼと包帯だったので、それでは埒が開かない、と思ったのが
湿潤療法に踏み切った理由だった。
それでも、その処置が間違ったものだとは今でも思ってはいない。
そうするのは至極当然で標準的な医療行為なのだ。

湿潤療法を開始後、数日で黒い壊死組織は融解を始め、
繊維状の組織を残してやわらかくなった。
縫合された皮膚は一部癒合したが、2×5cm程度の皮膚欠損となった。
下手をすると皮膚移植しよう、と言われかねない状態だった。
(よっぽど治りが悪くなければそう言いだす医者も少ないとは思うが)

「長期戦だね、これは。3か月で完全治癒すれば御の字か」
治癒経過の写真は撮ってあるが、見たい人はいないだろうから、
ここでは公開しないことにする。
11月17日から開始し、1月上旬にやっと完治した。

湿潤療法を開始後はイングレスでよく歩いた。小走りもしていた。
ジョギングと言える程走れる様になるには、それから2週間を要した。
創部は全く痛くなかったが、組織融解はさらに進み、
11月30日に最大となった。皮膚欠損は2.5×5.5cmに広がっていたが、
その頃には良い肉芽が上がってきており、
黄色い繊維状の組織もなくなっていた。
それまでの間に、一時足のむくみと熱感を持ったので、
抗生剤を飲んだ。どうも、むくみが感染を促進しそうだったので
ドラッグストアで販売されている女性用の着圧ストッキングを1週間穿いた。
ストッキングの効果はテキメンで、すぐにむくみと熱感はとれ、
抗生剤も3日でやめた。その後、感染徴候は現れることはなかった。

創部はできるだけ水に濡らさないようにし、風呂は直接浴槽の湯に
創部をつけることを避けた。創部周辺の皮膚は念入りによく洗った。
浸出液で異臭を放つようになるし、余計な雑菌の繁殖を抑えるためであった。
頭と体は普通に洗い、シャワーの水で普通に流した。
シャワーの水が創部にかかってもほとんど気にしなかった。
風呂から上がると、プラスモイストとカテリープを張るのが日常となった。
娘はいつもその様子を物珍しそうにのぞき込んだ。

そんな感じで治療に専念する11月だった。
それでも1日だけは11kmラングレスで遊んだ、という記録が残った。

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イングレスのレベル上げも順調に進み、
この頃にはレベル10になっていた。
次第に走る距離も多くなり、
休養のため、ランオフとする日も出てきた。

ランオフの過ごし方は各自それぞれあると思うが、
トレーニングのし過ぎは故障に繋がる。
幸いそれまでは歩きも多かったおかげで
故障は一切なかった。

2013年には毎週20k走っても
故障しなくなっていたわけだが、
その時の膝周りの強化は2年後でもある程度
有効だったのかもしれない。

17年ぶりに走れば、過去の膝がどんなに強くとも、
全く別モノであることは想像に難くないが、
2年半程度だと、案外靭帯や腱は強化された時の
影響が残ってくれているのかもしれない。

ただ、矢張り移動距離が急激に伸びれば
故障は思わぬところから顔を出す。
イングレスもレベルが上がり徐々に
楽しみが大きくなってきていたころだった。
こうなると多くのユニークポータル数も欲しくなり、
どうすればいいかと少し悩んだが、
自ずとバイクを導入するのが、
ランにもイングレスにもいいだろうという
結論となった。
そして少し奮発して、まともなクロスバイクを
調達した。疲労が残っているときに限り、
ランのためのクロストレーニングを行う、
という算段である。ただし、ポータル間は
交通に迷惑かけない程度にスピード負荷をかけた。
しっかりバイクで踏み込めば、
移動距離の1/3換算くらいでランしたのと
変わらないそうだ。
バイクはランのように振動によるダメージが少ないので
多少距離を踏んでも疲労はそれほどでもなかった。
坂道を走れば、結構心肺にも負荷がかかって
いい運動になりそうだった。

こんな感じで自転車を楽しんだ。
長い距離を乗らないと、バイクでの運動は大したことはないので、
自宅から10k以上離れたポータルだけ
行ってもいいことにした。
近距離は全てラン&walkにした。

10月31日は結婚記念日だったが、
妻は私が外に出かけてもいいよ、と言ってくれた。
私は休みが少ないので、ここぞとばかりに
クロスバイクでやや遠出をしてみることにした。
山手のポータルを巡ったのだが、
坂道に慣れてない所為もあって、結構移動に時間がかかった。
夕暮れ時、
「さて、ここを巡ってしばらくしたら帰ろう」
と思い、林道に入って行った。
林道の入り口は自転車でも問題なく走行できたのだが、
しばらくすると自転車で走行するには
かなり困難な様相となってきた。
途中で自転車を降り、目当てのポータルをハックし、
「さて、そろそろ帰るか」と思っていた。
途中、小川のようなくぼみの上に幅80cm程度の木橋が
かかっていた。木橋の手前から自転車でも走行可能な
道の状態だったので、そのまま自転車に乗って
木橋を渡ろうとした。
しかし、木橋のわずか3~4cmの厚みに
自転車の前輪は弾き返され、
私はバランスを崩した。
自転車はそのまま左側に倒れ、小川の方へと倒れた。
運の悪いことに、その小川は側溝に使われている
U字コンンクリートで補強されており、
私は左足のスネの部分をコンクリートの角に当てて
そのまま倒れた。高さ1m位から直撃した格好である。
当然痛い。痛みがひどく、2~3分程度そのまま
歯を食いしばるように耐えた。次第に痛みは治まり、
立ってみた。
「立つのも確かに痛いが、骨は折れていないみたいだ」
不幸中の幸いだな、と思った。
日は落ち、辺りは薄暗く、それから林道を
自転車を押しながら出た。
舗装道路にたどり着き、なんとか自転車に乗った。
山手のポータルだったので、以後はほぼ下りである。
「まあ、下りだからなんとか帰れるだろう」
と思った。舗装道路から自転車に乗ったころは
辺りはすっかり暗くなっていた。

しばらく、自転車で下っていると、
街頭の近くのポータルがあったのでハックした。
その時、私の白いジャージを見てみると、
左下腿が真っ赤に染まっていたのである。
ゾッとした。

「見たくないけど、まずは確認だろ。」
恐る恐る、赤く染まったジャージをめくると、
そこには挫滅した皮膚がみえた。
観念したかのように、そのまま元に戻した。

「ひどい擦り傷くらいを期待したけど、
これはアカン奴や・・。病院行かないとダメな奴や」
その日は日曜日だった。当然普通の病院は開いてないし、
もう18時を回っていた。
そこから5kmくらい下ったところに
救急対応している病院があるのを思い出した。
十分救急処置が必要な状態なので、
そこまで行くことに決めた。
下りなので、なんとか行けそうだった。

人は気持ちが弱くなるといけない。
さっきまでは、イングレスをする気まであったのに、
血を見たとたん、弱気になった。
赤信号で止まるのもかなり億劫だった。
地面に足をつけるのも、できればしたくなかった。
自転車の下る勢いが殺されるような状況は
全て回避したい気持ちになった。

そうして、やっとの事で病院につき、
20分程度で診察してもらった。
レントゲンに異常ないので、局所麻酔・洗浄して、
縫合しますね、と言われた。
結局8針縫うことになった。
2015年10月の月間移動距離は197kmに達していたが、
翌月はほぼ絶望的な状態となった。

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イングレスを始めてから自宅近くのポータルを周回するようになった。
最初のころはレベル上げが重要なのだが、
ポータル破壊は低レベルでは難しいので、主としてハックメインである。

低レベルだとレゾ差しもできないが、
白ポータルを探して、わざわざ遠くのポータルまで行くこともあった。

ポータル間は軽く走る。
心肺ができていないので、もちろん早くは走れない。
だいたい 7 min/km くらいだろうか。
体が重いし、足の負担も考えると無理する必要はない、と思った。
ケガしないことは最低条件だった。
過去に膝をケガした経験から、それは最重要課題とした。

移動距離がわからなければ、運動量の評価はできないので、
ARES GPS を必ず着用した。ARESにはオートポースの機能はない。
昨年夏ころ、12時間タイプのゴールドが半値で販売されていた時に
購入したものを使った。8時間タイプの方は、過放電のため、
2時間くらいしか充電が持たないようになっていた。

ARESは5秒に1回GPSが記録される。記録間隔が長いと
理論的には、計測距離が短くなり、走行スピードも遅くなる。
蛇行しても、直線的な記録しか残らないためだ。
しかし、距離がわかっているコースを走ればわかることだが、
ARESは表示スピードが速く、1kmのラップは実際より短くなる。
なんらかのソフトウェア的な補正がされているのだろう。
恐らく、1%-2%くらいは距離が短く計測される。
1kmで10-20mだが、これが積み重なると、フルマラソンでは
結構な距離となる。まだゴールにたどり着いていないのに、
21.0975kmや42,195km以上を時計は表示することになるのだ。

そのARESで 7'00"-6'40"/km程度で走った。
ポータルではAtack, Hack, Deployment, Mods Install などの行動をとるので、
1分-3分程度の停止時間が必ず生じる。
すると実際には 4.5-5 km/hrくらいしか移動しないことになる。
ほぼ、歩くのと大差ない。でも、途中は走るので心肺は少しずつ改善されていった。

負荷が低いので、行動時間は長くなった。
ゲーム性も手伝って、2-3時間くらいは全く問題なかった。
ガチのイングレスプレーヤーは1日に30-40km位歩くこともあるそうだ。
低負荷ならそれ程体力がなくても、長時間行動できてしまう。
時間さえ許せば、体力の基礎をつくれる。ゲームにどっぷりハマればいいのだ。

多くの現代人は時間がない。ジョギングは1時間すれば長い方かもしれない。
運動のためにわざわざ1時間確保するのも大変だが、
これが遊びになると、思いのほか時間を確保するものである。
夜10時から3時間行動するという、普通でないこともできてしまう。
これが、ゲームのいいところでもあり、危険なところでもある。
うまく付き合えたら、ゲーム性を持たせることは運動するには最適なのだ。
そういう意味ではハンケが目指す理念はある程度達成されたゲーム
といってもいいと思う。

そういうわけで、私の9月の月間移動距離は140kmとなり、
行動時間は25時間を越えたが、平均スピードは5.7 km/hrと低速となった。
600mを走った後、2-3分の休憩をj繰り返すようなイメージだ。
運動日数は13回だったので、毎回、平均約2時間弱行動していたことになる。
その2時間弱の行動は全く苦にならなかったことが重要だった。
そして僕の体重はひと月で3kg落ちた。


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 いつの間にか40を越え、過去最大重量となり、どこから見ても立派なメタボおやじと化したころ、時に降りかかる胸部の違和感に不安を覚えていた。
 「ある日突然、この胸の痛みが治まらないどころか、どんどん痛みが増して、そのまま意識を失ってしまうのではないだろうか。」
そんな考えが、脳裏にちらつくようになった。
私の心電図は既に警告を発していた。ふくよかなT波は影をひそめ、ペッタンコの状態で、下手をするとそれが陰転化しそうな勢いだった。再分極障害、つまり、心筋虚血である。
 腹囲オーバーと脂質異常も伴う。あと1項目追加されれば、完全無欠のメタボおやじだ。喫煙もする。どう考えたって、胸部症状は冠動脈の粥状硬化が進んでいる事を示していた。
「やれやれ、ついにこの時がまたきたのか」

3年ぶりに走ろうと思った。問題はどうしたら継続できるか、の方だ。
今から走って、1度はフルマラソンをして、そしてまた膝が痛くなって走るのを止めてしまうのだ。
2度あることは、3度ある。3度目の正直で継続もありうる。
無策では前者。策を打てば後者に転ずるかもしれない。

走ることに意味がなければ、きっと止めてしまうだろう。
適当に体重を落として、知らぬ間にまた不摂生な日々になるだけだ。
さて、どうしたものか。。。

そんなとき、ingressというゲームに出会った。
遊べばいいのだ。ラン自体が楽しくなるまで。

ガラケーをこよなく愛する私は、スマホを持たなかった。
必要性を感じなかったからだ。公共機関で移動などしない生活に、
スマホは不要だ。PCの方がずっと便利だし、その他のことはガラケーでも事足りたのだ。
時に、スマホアプリを使ってみたい衝動に駆られそうになったが、
差し迫って使わなければならない状況もなかった。

「ジム費用の代わりに投資ですな。。。」
MVNOを利用して、イングレスをすることに決めた。
でも、相変わらず電話はガラケーが一番で、
充電切れで電話が通じない、などという事態はどうしても避けたかった。
こうして僕のスマホ生活はイングレスと共に始まり、2台持ちすることになった。