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kpinkcat(モモネコ)

Author: kpinkcat(モモネコ)

2009年1月からジョギングを開始するも、
数か月すると走らなくなる。
3年ごとにブームが訪れ、今回3度目。
2015年に過去最大重量を記録した
のをきっかけに再び走り始める。
今度こそ、過去最速を目指したい。
自分を取り戻す旅。。。

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「結婚記念日だというのにパパはね、
自転車で足をケガしたんだよ。
あれほど自転車では気をつけなさい、と言ったのにね。
ホント、思い出深い結婚記念日になったわぁ。」
、といたずらな笑みを浮かべながら妻は息子に話しかけた。

足の痛みはうずき、一週間程度は引きずるように歩いた。
医者からは抗生剤を処方されきちんと飲んでいたが、
痛み止めは2、3回飲んであとは存在すらも忘れていた。

縫合処置をしてくれた医者は、あとは近くの病院で
消毒と包帯交換をするように、と紹介状を書いてくれた。
紹介先では3日毎に消毒処置を受けたが、
抜糸までに2週間ほどかかった。
抜糸が遅かったのは浮腫の引きが悪かったせいだった。
見た目よりも随分、挫滅していたのだろうと想像した。

通院先の病院には患者がうなるように押し寄せていた。
いつ行っても2時間くらい待った。
消毒して包帯交換するだけなのに2時間も毎回待たされたのである。

それにうんざりしていた私は、抜糸後は湿潤療法で治そう、と考えた。
始めに言っておくが、湿潤療法を個人の判断で行うなら自己責任だ。
もし、感染の徴候がわからないなら大人しく医者にかかった方がいい。
また、糖尿病を患っているなら、決して自己判断で湿潤療法は
行うべきではない。十分医師と相談した方がいい、と言っておく。

手元に7日分の抗生剤があったが、それもやめた。
瑞光から販売されているプラスモイストとニチバンのカテリープを
購入し、創部を覆った。カテリープはプラスモイストの
上下を止めるだけで、中央部分は通気性を保った。

抜糸後の創部はすぐに離開した。一部、壊死組織が黒くそこに
残ったままだった。通院していた病院は消毒した後に
ガーゼと包帯だったので、それでは埒が開かない、と思ったのが
湿潤療法に踏み切った理由だった。
それでも、その処置が間違ったものだとは今でも思ってはいない。
そうするのは至極当然で標準的な医療行為なのだ。

湿潤療法を開始後、数日で黒い壊死組織は融解を始め、
繊維状の組織を残してやわらかくなった。
縫合された皮膚は一部癒合したが、2×5cm程度の皮膚欠損となった。
下手をすると皮膚移植しよう、と言われかねない状態だった。
(よっぽど治りが悪くなければそう言いだす医者も少ないとは思うが)

「長期戦だね、これは。3か月で完全治癒すれば御の字か」
治癒経過の写真は撮ってあるが、見たい人はいないだろうから、
ここでは公開しないことにする。
11月17日から開始し、1月上旬にやっと完治した。

湿潤療法を開始後はイングレスでよく歩いた。小走りもしていた。
ジョギングと言える程走れる様になるには、それから2週間を要した。
創部は全く痛くなかったが、組織融解はさらに進み、
11月30日に最大となった。皮膚欠損は2.5×5.5cmに広がっていたが、
その頃には良い肉芽が上がってきており、
黄色い繊維状の組織もなくなっていた。
それまでの間に、一時足のむくみと熱感を持ったので、
抗生剤を飲んだ。どうも、むくみが感染を促進しそうだったので
ドラッグストアで販売されている女性用の着圧ストッキングを1週間穿いた。
ストッキングの効果はテキメンで、すぐにむくみと熱感はとれ、
抗生剤も3日でやめた。その後、感染徴候は現れることはなかった。

創部はできるだけ水に濡らさないようにし、風呂は直接浴槽の湯に
創部をつけることを避けた。創部周辺の皮膚は念入りによく洗った。
浸出液で異臭を放つようになるし、余計な雑菌の繁殖を抑えるためであった。
頭と体は普通に洗い、シャワーの水で普通に流した。
シャワーの水が創部にかかってもほとんど気にしなかった。
風呂から上がると、プラスモイストとカテリープを張るのが日常となった。
娘はいつもその様子を物珍しそうにのぞき込んだ。

そんな感じで治療に専念する11月だった。
それでも1日だけは11kmラングレスで遊んだ、という記録が残った。

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